トスカ−ナ州

イタリア中西部にあるトスカーナはエルノ、シェーヴェ、エルザ、エーラなどの河川が造り出す渓谷と、明るい色のオリーブの木々と暗い糸杉が立ち並ぶ丘陵とからなる。州内にはフィレンツェ Firenze 、アレッツォ Arezzo 、シェーナ Siena 、ピサ Pisaなど中世から近世への過渡期に当たるいわゆるリナシメント(ルネッサンス)にゆかりの地が多い。州都であるフィレンツェはリナシメントの頃、その原動力ともなったメディチ家の本拠地で、ヴェッキオ宮、ピッティ宮、ジョット宮をもつ花の聖母寺、聖クローチェ寺院などがあるイタリア屈指の観光都市である。宮殿と貝形のの広場、それに我が国のやぶさめにも似た武芸の行事パーリオで有名なシエーナはイタリア人の憧れの的とも言える中世都市であり、現代イタリア語の母体となった美しいイタリア語が話されるところでもある。フィレンツェを仮にイタリアの京都とでも言うなら、シエーナはさしずめイタリアの奈良であろうか。そして、このフィレンツェとシエーナの周辺であの有名なキアンティが造られるのである。 州はフィレンツェなど9県からなり、全県でワインを産出する。最近の生産量は32万kl、赤ワインが圧倒的に多い。他州と比較するとD.O.C.ワインの比率が大きく、全ワインの3分の1以上を占めている。そして、D.O.C.ワイン11万KLのうち10万KL弱がキアンティである。キアンティの記録は700年代にまでさかのぼることが出来ると言われており、16世紀にはすでに多くの醸造かがいたと言われる。また、1716年にはトスカーナ大公国のコシモ3世がその布告によってキアンティの生産地の境界を定めたとされている。しかし、今日の世界的名声をもつキアンティの基礎を造ったのは19世紀のベッティーノ・リカソリ男爵(1809〜1880)であった。男爵は後年、イタリアの首相になった人物であったが、ブローリアの城に於いてワイン造りに精を出した時期があり、従来のキアンティ造りと違う葡萄の配合、すなわち、サンジョヴェーゼ70%、カナイオセーロ・ネーロ15%、という2つの黒葡萄の他に白葡萄のマルヴァジーア・デル・キアンティ15%を加えるやり方を試み、また、あらかじめ摘み取った葡 萄の一部を陰干しして糖度を高めたモストを一旦発酵が収まったワインに加えて再発酵をさせる古代ローマ以来の醸造法(ゴヴェルノ法)を加えることによって、口当たりが良く、しかも、爽やかな赤ワインを産み出したのである。男爵がこの方法で自らのキアンティ・ワインを完成させた1847年から120年たった1967年に、この黒白葡萄混醸がキアンティの醸造方法として定められた。 なお、V.d.T.には赤ワインのティーニャネッロTignanello 、オルメッライアOrmellaia、サッシカイア Sassicaia、ソライアSolaia、ティンスクヴィル Tinscvil、白ワインのガレストロ Galestro、トルニエッロ Torniello、カブレーオ・デッラ・ピエートラ Cabreo della Pietra、ヴィン・ブルスコ Vin Brusco などがある。