会所部屋 かいしょべや
日本酒の醸造蔵に働く従業員の休憩室をこのようによぶ。厳寒期で、特に水を使う作業が多いので、すぐに暖がとれるように古くは「いろり」今は「ダルマストーブ」「石油コンロ」等を真申において、集まって休むようになっている。

柿渋 かきしぶ
渋柿の突を容器に入れて水を加え腐熟させ、その上澄液、あるいは渋柿を圧搾して得られた搾汁。いずれも褐色の液体で、これを柿渋という。我が国では古くから紙、布、魚網の染料や漆器の下塗りに用いられたが、清酒醸造では昔からもろみの上槽の際の搾り袋の染料に用い、また酒の清澄剤として重要な用途をもっている。柿渋の主成分はタンニンであって、これが渋味の本体であるが、タンニンはまた容易に蛋白質と結合する性質をもち、このため清酒の濁りの原因をなしている浮遊性の微小な蚕白質と結合し、大きな塊となって沈澱し、その結果、酒の濁りが沈んで液の部分は澄明になる。この部分と沈澱を分離すれば透明な酒が得られるのである。柿渋はこのような作用をもっている所から、柿渋の化学的性質の分らなかった時代から清酒には使われていた。

カクテル 
調合したアべリティフで、いろいろな蒸留酒に香味料やビターズおよび砂糖を混じ、氷片を加えてよく混合したもの。小さなカクテル・グラスに入れて飲む。本来アべリティフ(食前酒)であるが、食後のカクテルもある。まぜるものは前記以外にリキュール類、果物(果汁)などが入ることもある。いろいろの処方があるが、基本(ベース)となるものはウイスキー、ジン、ブランデー、ラムなどが主で、またベルモットがよく使われる。カクテルの起源については、実にいろいろの説が持出されているが、幾つか紹介しておこう。一つは、この語はアスティック語で、その酒はアスティック族の貴族に発見され、この貴族がその娘ホキトル姫より王に献じたところ、王は即座にコクトルと命名したという。またもう一つはアメリカ独立戦争の頃、フラナガン未亡人は酒場を経営していたが、このマダムの調合する飲み物が評判で、多くのアメリカ、フランスの士官が出入をしていた。ある日アメリカの士官が牡禽を盗んできてローストするよう命じた。マダムは早速料理をしたがその晩彼女は牡禽の尾羽で、酒場内のびんを全部飾った。宴会になって一人がコックのテールを一杯と注文し、彼女はいつもの調合酒を牡雉の尾でかきまわした。誰かがこの飲物は牡禽の尾羽が見てきれいなのと同じように、味わって美味であることをたたえ、みんなでコック・テール万才を叫んだとある(山本千代喜『酒の書物』)。またこの他諸説があり、この起源だけで一冊の本が書けそうである。起源の詳細は不明としてもカクテルがアメリカで生れたことは事実のようで、カクテルはこうして新大陸のアメリカで育ち、この国で盛んになった。しかし今では世界中に広がり、パーティで、家庭で、そして酒場で、このカクテルは親しまれている。

掛麹 かけこうじ
清酒のもろみを仕込むとき、使用する鄭を掛麹とよぶ。これに対してもとに使う麹はもと麹とよぶ。掛麹はもろみの中で糖化や蛋白質分解など大切な働きをし、その質はできあがった酒の品質にかなり大きな影響をあたえるので、醸造家は掛麹の製造には注意を払い、その原料である米も掛米に比して精米歩合を下げる(より白い米)ことなども行なう。使用量は掛米に対して約26%程度、もろみ全体の米の約20%を占めている。

掛米 かけまい
清酒もろみを仕込むとき掛麹以外の米一蒸米一を掛米と呼ぶ。実(味)米ともいう。

囲桶 かこいおけ
清酒を貯蔵する桶をいう。

果実酒(類) かじつしゅ(るい)
果実あるいはその搾汁を発酵させて造る酒。原料であるそれぞれの果実のもっている色や香味が製品にうつり、他の穀類を原料とした日本酒やビールとは異なった風味をもった酒である。その代表的なものはぶどう酒で、ついでこれの系統に属するシャンパン、ポートワインー、ベルモット、シェリー等がある。また、りんご、かんきつ類、もも、なし、桜桃、いちご、西洋すぐりと酒の原料は豊富である。果実酒は世界各国でつくられ、その歴史はつまりぶどう酒の歴史であるが、世界で最も古いといわれ、少なくともBC2000年には、ぶどう酒があったという。我が国の酒税法では、果実酒類は果実酒と甘味果実酒の二つの品目−税法上の用語、種類の下の区分である−に分けられ、いずれもエキス分は21度未満と定められている。また原料の一つには必ず果実を用いることになっている。さてここでいう「果実酒」とは「果実または果実と水を原料として発酵させたもの」といういわば本格果実酒と、これに一定の制限下で補糖や補酒を行なったそれ以外の果実酒とを含んでおり、エキス分は7度未満となっている。一方この「果実酒」にさらに前の制限以上に糖類やアルコールを加えエキス分が7度以上、21度未満のものが甘味果実酒である。この甘味果実酒には、果実酒で薬草その他を浸出したものも含んでいる。甘味果実酒といっても10%以上は果実酒が入っていることが必要であり、戦後の果実を使っていない模造果実酒は今では果実酒の中からは消えてしまった。

火酒 かしゅ
蒸留酒のことをいう。火とは熱を加えることであり、我が国では古くから焼酎と同義に用いられていた。また近時はスピリッツの訳語に火酒などということもある。いずれにしても蒸留酒であってアルコール分の強い酒である。『本朝食鑑』には 「又火の酒といふ者有り、肥前侯の家に出つ、其辛烈燥猛、亦泡盛よりも甚し、大低三酒倶に火と同性、火を得れば即ち燃ゆ、焔硝と同じうす、共の火も亦青焔なり、今試みに布紙に浸し。火を点するときは則ち燃ゆ。故に或は日く、火酒の名も、亦故に拠ると。」とあり『大和本草』にも同じ事が書かれてある。

 かしら
清酒醸造蔵従業員のなかの職名で、杜氏の次の地位で従業員の指揮にあたるもの。杜氏の補佐役である。

粕(糟) かす
酒類を造るときにできる未利用の部分。酒粕(清酒粕)、ビール粕、ぶどう酒粕、焼酎粕、みりん粕とさまざまである。製品である酒とならない部分であり、どの工程から出るものか、それによって固状であったり、液状であったりする。一種の廃棄物であるが、それなりに用途があって、酒粕、みりん粕は食用(漬物用)に、ビール粕、焼酎粕は飼料や肥料として利用される。

粕取焼酎 かすとりしょうちゅう
酒粕を原料とした焼酎。特有の高い香りがあり、多少濁っていることもある。一般に酒粕にはアルコール分5〜10%含まれており、この粕のアルコールを生の水蒸気を通して回収し、この蒸気を凝縮させたもの。蒸留するときに酒粕にもみがらを混ぜて蒸気の通りをよくするようにする。この焼酎は、米の油からくる脂肪酸のエステルに富み、このため、やや白く濁っており、またアセトアルデハイドという大変軽い揮発性の成分が多いことから、特有の高い芳香が特長である。アルコール分は25〜30%。昔は殆んどの清酒醸造場が、自分の所の酒粕を利用して粕取焼酎をつくっていたが今はきわめて僅かであり、また専業者の数も少ない。

片白 かたしろ
「かたはく」ともいう。昔清酒用の米のうち、掛米だけを精白することをこのように言った。これは江戸時代以前のことで、それ以降は掛米、麹米共に白い諸白に移っている。『和漢三才図会』には「諸白片白 木来麹米共真精者故名両白 本米ハ精而麹米不精 故名片白」とあり、『東海道膝栗毛』では「はこにしたいろりのやうなものの中へ、はまぐりを並べ、松かさをつかみこみあふぎたてやくうち弥「コウ酒はいいのがあるかの、しかし諸白でなくて片白には困る。そして江戸ぢゃあうめへもののくひあきしている骸だから、道中のものはねからくへぬ・・・」とあるように品質的には当然諸白が上である。

活性炭素 かつせいたんそ
木材や木炭、果実殻、石炭などをガスの中で焼いて炭化したまっ黒な粉末。ほとんど純粋の炭素で、このものはいろいろな物質を吸着することから酒類の脱色、濁りの除去、香りや味の調整など、製品の仕上に大きな効果を発揮し、全酒類の製造工程では不可欠のもの。酒に一定量の活性炭素を入れて攪拌、ある時間後濾過するか、あるいは酒が炭素の層を通過するような使用法がある。粉末のものの他に粒状もある。

カブリ 
ナポリの近く、カブリ島に産する辛口の白ぶどう酒。南イタリアでは最上のクラスに属する。実際には近くのイスキア島およびその他の近くの島からとれるものもカブリとよんでいる。「カブリ地区」という名称はこれらをすべて含んでいるもの。香りの高い白ぶどう酒である。

カベルネ 
赤ぶどう酒用の著名なぶどうの名。このカベルネはボルドーのメドック地区の最高の赤ぶどう酒クラレットに用いられ、また、カリフォルニア、チリ、オーストラリアその他の地区の最上の赤ぶどう酒に使われる。最も有名で各地にひろがっているのが、カベルネ・ソービニヨンであって、メドックとカリフォルニアに多く、これで造った酒はいきが長く、熟成がゆっくりで、タンニンの多い酒である。カベルネ・フランはサン・テミリオン地区で多く栽培され、シノン、ボージョレー、シャムピニーやその他ロワール峡谷の多くのすぐれたロゼを造り出している。いわゆる「ルビー・カベルネ」は、カベルネ・ソービニヨンとカリニャンとをかけあわせたもので、アメリカで開発された品種である。

釜場 かまば
清酒蔵の大釜のすえてある場所。普通は径2mに近い大きな釜と、やや小さ目の釜と二つが炉に備えられ、湯はいつも沸いている。この釜の上に、甑を据えて米を蒸すのである。酒蔵のなかの原料処理場といえる。

釜屋 かまや
清酒蔵の従業員の職名。釜場で釜を炊き、米を蒸す仕事を専門としている者。釜場で働くことが多いので、こうした名がつけられたのであろう。

加無太知 かむ(ん)だち
今の麹のことである。「かむ」「かん」は「かび」を意味し、かびがついて花が咲くことが「かびたち」、後に「かむたち」となった。『古事記伝』に「醸は酒を造るを云、古歌にこれかれ見ゆか。宇鏡に、醸造酒也、佐介加尤と注せり(此の加牟をロにて吹みて作る故なりとするは、おしあてのひがごとなり。加牟は和名妙に麹を加無太知とあるは、かびたちて、俗に花の付くと云これなり、されば酒も、かびたたせて作る意にて、加牟とは云なり、故加毛須とも云り)」とあり、『冠辞考』には「酒をかみするてう語は麹をまじへて造る事也。其かんだちはかびたちにて、米のかびの立たるをいえり、故にかみする、かもする、かむなど云は、皆音通へり、かびる、かむるなどに通はして知るべし、古へ飯を口にかみて酒とせしなどいう俗説はいふにたらず」とある。つまりかむだちは、かびの立つ(つく)意味で、ロでかむという意味ではないことをこの二書は語っている。

辛口(酒) からくち(しゅ)
甘口酒に対する言葉。辛い、つまり糖分が少ない。ドライがこれに当る。酒類の中では、一般に赤ぶどう酒が辛口酒の代表的なものといえる。日本酒には、甘、辛両方ある。ただし辛口といっても、ここからが辛口だという明瞭な限界はなかなかきめられない。このような表現は普通に相対的なものといえよう。

枯し からし
清酒を造る過程で、麹や酒母ができあがっても作業日程の関係ですぐ使わずに冷所に放置しておくことがある。これを枯し(枯す)とよんでいる。

カリフォルニアン・ワイン
カリフォルニアに産するぶどう酒。カリフォルニアはアメリカの有数のぶどう酒の産地で、合衆国全生産量の約80%はカリフォルニアで造られるのだから、アメリカン・ワイン即カリフォルニアン・ワインといってよい。また同時に世界でも名だたるぶどう酒醸造地帯の一つである。この地帯は気侯、土質、その他の条件が比較的ぶどう酒の醸造に適しているのである。しかし今日までのカリフォルニアの多くの地区でとれるぶどうは貧弱であり、どちらかというと二流の品で、これが優れた酒を造る上のハンディキャップになっている。北カリフォルニアのやや寒冷な地帯−つまり、ナパ、ソノマ、リハーモア谷、サンタ・クルス、サンタ・クララと呼ばれている地区−は食中酒を産し、そのうちには素晴らしく個性的で香りの高いものもある。また暖かい地帯では食後酒を多く産する。カリフォルニアの酒の半数以上は甘口で、強化酒であり、シェリーとかポートとよく似たタイブのもので、また食中酒よりもむしろ食後酒である。カリフォルニアのぶどう園の真価は、北の行政区において認められる。なおここで注意しておきたいことは、アメリカには二つのタイブのぶどう酒があり、その一は東部アメリカで、ここで野生で発見された固有のアメリカ種のぶどうを原料にしたものと、もう一つはカリフォルニアに伝来したヴィーティス・ヴィニフエラすなわち欧州種の酒とがある。このヴィニフエラは欧州、カリフォルニア両方において、ぶどう酒醸造業の基礎を形づくっている。【歴史】カリフォルニアぶどう酒の歴史は、スペイン人のメキシコ征服者コルテッツに始まる。当時のぶどう酒は一般にスペイン産のものが多く、新しくできた酒は常にスペインのものと張り合わねばならなかった。1697年司祭ジュアン・ウガーテは教団が開かれた時、ぶどうの苗をうえたが、これが南部の西海岸地区における最初の欧州系ぶどうの栽培であった。やがて教団の名をとってミッション種とよばれ、今日もこの名は残っている。やがて教団の北上につれミッション種も北上していった。一方別の神父の一派によって、1769年にはサンディエゴの教区で栽培が始められ、教団の数の増加とともにぶどう園も増加した。それはサンディエゴからソノマ、サンフランシスコと連なり、これを結ぶ道路は「王者の公道」とよばれる程であった。その後教団も繁栄し、醸造も盛んになったが、1830年メキシコがスペインから独立すると、メキシコ政府は教団の財産を接収した。しかしぶどう園は放任され、やが荒廃化してしまう。ここで教団に代って農園経営者の台頭があった。1824年ロスに入植したヨセフ・チャップマンはジャンルノイス・ヴィグネスというボルドーからきたフランス人をつれており、ぶどう酒醸造に彼の企業家的野心をかけた。1833年、彼は成功し、彼の酒は国内へと売り出された。彼の成功によって、他の人々もこの仕事に手を出すょうになり、ぶどう栽培はロスアンジェルス地区の主要な産業となった。一方ヴィグネスは、高級なぶどうのさし木をフランスから輸入し、改良に努めた。彼らの他にも何人かの指導的役割を演じた人がいてぶどう酒醸造は盛んになって行く。さてミッション種は、チャップマン、ヴィグネスその他の人々によって、最初はカリフォルニア南部に、続いて北部とぶどう園に取り入れられた。しかし、この品種は粗く、多収穫ではあるが、特長がなく、食中酒の製造には向かなかった。とはいうものの80年以上もこの品種はカリフォルニアぶどうを支配した。1850年代ポートタイブはロスアンジェルス地区に、ホックとソーテルヌとクラレットはソノマとナパに、シェリーはソノマとエルドレゲイ区という風にある程度区別されていた。只この時代は矢張り外国の模倣であった。1852年ハンガリーからやってきた貴族A・ハラスチーは外国からのさし木や苗を輸入し、サンディエゴに植えた。この中には後に赤の辛口酒に向いているツインファンデル種も入っていた。最初栽培者はミッション種に執着し、新品種にはなじまなかった。しかし1878年、すぐれた欧州種の栽培が軌道にのり、こうして今日のカリフォルニアのぶどう栽培の基礎をつくった。また彼はぶどうの品種の蒐集にとび回って、たえず改良を志し、ぶどう栽培組合を組織したりしている。カリフォルニアのぶどう産業が繁栄をみるに至ったことは、彼の情熱に負う所大である。彼が「カリフォルニアぶどう栽培の父」とよばれて人々の心に残っているのも当然である。以後ぶどう栽培と醸造は多くの農家や開拓者を引きつけ、1860年代には、ロスアンジェルス、アナハイム、ソノマは3大ぶどう地区として抜きん出ていた。その頃金の発掘が一つの経ぎであったが、液体の金といわれたぶどう酒の市場は金の景気につれて大いに繁昌した。しかし金の経ぎが終わると、値は急低下し、ついには州議会は新しい業者に税を免除するなどの救済を講じている。1870年、州や国のとった有利な施策とハラスチーの成功とが相まって、ぶどう酒産業は拡充して行く。しかし1875〜77年にわたる経済の危横はこの産業に不況をもたらしたが、1878年以降この不況に耐えた熱心な人達のみが残るに至って、却ってよい結果を生む。次の難局はフィロクセラの襲来であった。1870年以前にもカリフォルニアに出現したが76年に襲った虫害は、約3年にわたりソノマ、ナパを始め各地区を荒し回った。かつて欧州がこの災害から切り抜けた欧州系とアメリカ系ぶどうのかけ合わせを行なって、カリフォルニアでもこの事態を切り抜けた。また1880年組織されたカリフォルニアぶどう栽培委員会とカリフォルニア大学農学部はこの虫害の撲滅に積極的な援助を与えている。この大学は今日もなおぶどうの栽培学と生態学の研究と教育とを続けており、欧州のこの種の機関と匹敵する業績をあげている。やがてカリフォルニアは、全世界市場で欧州と競うようになった。1900年から15年にかけてぶどう酒産業はさらに伸びたが、やがて禁酒法が通過すると、もちろんぶどう酒醸造場は大打撃を受ける。しかし幸いなことに法律は薬用と宗教用の酒は認めていたので、幾らかの業者は作業を続けていた。1933年12月、禁酒法が廃止されるや、残っていた業者は全力をあげて製造したが、一時需要は供給を上回り値段はつりあげられ、品質の悪いぶどう酒が出回って、1933年頃までは市場は不安定であった。1933年州の公衆保健当局と連邦政府から、カリフォルニアぶどう酒の品質基準が示されるに至り、ぶどう酒は自己の責任で相応しい基準をまもることになった。このような事情を反映して、高級な品種すなわちカベルネ・ソービニヨン、シャルドネのような品種を栽培し、品質のよいぷどう酒をつくろうと努力する人達もふえてきた。しかし低温地帯ではミッションやアリカント・デーシェヒの使用比率は下げられなかった。その当時皮の丈夫で収量の多いぶどうが評判がよく、収穫の少ない高級なカベルネより多収穫なカリニアンやアリカントプーシェに人気が集まるのも当然であるからだ。このことは禁酒法撤廃後の酒質をおとすことにもなるのだが、品質と収量の問題は、今なお議論の残る所である。こうして心ある生産者は大規模の製造法をとってはいるが、ぶどう酒の品質の保持と向上には最大のカを払っており、ニューヨークの有名な販売業者フランク・シユーンメーカーもまた量より質に対して努力を払った一人である。現在カリフォルニアには約350のぶどう酒業者があり、突際に終始質のよい酒を作っているのは少数で、この人達が高い品質基準を守っているのである。今日カリフォルニアの業者は、欧州市場で同等に競争できる点に全勢力を結集しているが、これは模造でないぶどう酒を造ることで達成されるといえよう。【生産地帯】現在カリフォルニアでは、その白然的条件からみて北海岸、サクラメント、セントラルバレー、サン・ジョーキンバレー南海岸の5つに区別できる。川北海岸(ノース・コースト)=この地帯はサンフランシスコの北と南にあるので、海岸線に平行したいくつかの谷じ気候は温暖で、雨量も適量。@ソノマ−メンドシーノ地区=ここはサンフランシスコの真北、最高の食中酒の産地。特にソノマ地区はカリフォルニアの3大ぶどう酒地帯の一つ。指導的な立場にある。メンドシーノ地区は普通の辛口の赤の食中酒の産地。Aナバーソラノ地区=ここは著名な赤の産地。ナパはインデイアン語で多心という意味。土質は豊かで、カベルネ・ソービニヨンがここの看板の品種。ボルドーの赤と同一品種であるが、ナパのものは熟成がおそく、そのため樽で4年程貯蔵される。Bリバーモア−コントラ・コスタ地区=ここはすぐれた白の産地。この谷のアラメダ地区は上等のソーテルヌタイブの白ができ、その他発泡酒も産する。土質はあらい乾き切った砂質土で、コクのある白が生れる地帯。なおピノー・ノワールも栽培され赤が生れている。ミッション種も残っている。コントラ・コスタ地区はアラメダの北。食中酒で有名である。Cサンタ・クララ−サンべナイト−サンタ・クルス地区=サンタ・クララ地区の中心。最上の食中酒と発泡酒−カリフォルニアのシャンパン−を産する。小さい醸造場も多く、普通の酒を地方的に販売している。なおサンタ・クララ地区は世界的にも有数のぶどう栽培地帯である。(2)サクラメント谷=ここはサクラメント川に沿ってかなり広く分布している。海の影響を受けて夏もおそく着くなり、冬はより冷える。しかしなかに冬霜を見ず、夏も穏やかな地区があり、ここではよいぶどう酒が生れる。ほとんどが大量生産で、普通の食中酒と食後酒を造っている。(3)セントラルバレー=エスカロン、モデストを中心とする地区。大メーカーがあり、二流の特に食後酒が多く、他に普通の食中酒、発泡酒ができる。(4)サン・ジョアキン谷=ここは中部の奥地谷の南の映れ。最も暖かく谷の気候で降雨量も少なく、灌漑が必要である。7、8月が27℃位。広い乾ぶどうの地帯を含み、酒はややましな甘口の強化ぶどう酒、辛口の食中酒もできるが、糖分と酸が不調和なぶどうで、酒はよくない。フラスノ付近はポート、シェリー、ソーテルヌとよく似たタイブのものができる。(5)南海岸地帯(サウス・コースト)=ここはロスアンジェルス、サンディエゴ、キューカモンガーオンクリオの3地区に分けられる。前二者は海の風で涼しい地帯だが、後者は内陸で砂漠の続きであり暑い。サンディエゴ地区の一部には、マスカットを栽培しマスカテルを産する。キューカモンガの周辺は、暖かい気侯のため、コクのあるものより、軽快な酒が生れている。【ぷどう品種】赤ぶどう酒用主要品種=カベルネ・ソービニヨン、ピノー・ノワール、ガメイ・バウジョレイ、グレナヘ、バーバラ、ルビー・カベルネ、タマト、グリニョリーノ、ツインファンデル。白ぶどう酒用主要品種=ピノー・シヤルドネー、セミヨン、ソーピニヨン・プラン、ピノー・プラン、ホワイト・ピノー、リースリング、シルバナd トラミネール。【酒の種類】カリフォルニアでは、もちろん普通のワインを産するが、既に前にも述べたように、食前酒や食後酒の類が多いようである。食前酒としては、カリフォルニアン・シェリーがあげられる。本格的なシェリーももちろんあるが、大部分のカリフォルニアン・シェリーは、シェリータイブともいうべきで、特殊の製法をとっている。それは強化したぶどう酒をコンクリートかスチルのタンクに入れ2〜6ヶ月、120〜140F°と温度をかえておいておく。終ったらさらに小さな樫の樽に入れ、6ケ月あるいはそれ以上貯蔵する。こうしてできあがったのがカリフォルニアのシェリーで、べーキング・シェリーともよばれる。糖分はドライのものが0〜2.5%、カリフォルニアン・シェリーと呼はれるものが2.5〜4%、甘口のリキュールタイブのシェリーは4%以上ある。アルコールはすべて20%近くある。カリフォルニアン・ペルモットはドライのフレンチタイブと、甘口のイタリアンタイプがある。製造法は普通のペルモットと変りはない。食後酒としては、カリフォルニアン・ポートがある。これは色が漉く、味も重い。糖分は8〜14%、ポルトガルのポートよりは甘く色も濃いのが特徴。ホワイト・ポートは、白の生食用のぶどうトムプソンの種なしを使い、また赤のグレナヘ、ミッション種の皮をとってしまったやり方で発酵させる。糖分は10〜15%、黄色のワインである。カリフォルニアン・マスカテルとよばれるマスカットを用いた甘口のものもある。カリフォルニアン・トケイはいろいろのデザート・ワインを調合したもので、ハンガリーのトカイ酒とは特別閑係はない。その他発泡性ぷどう酒として、カリフォルニアン・シャンパンがある。

カルバドス
世界で最上のりんごのプランデー。フランスのノルマンデイーで造られたりんご酒を蒸留したもので、この名はカルバドス県の名からとったのである。ともいわれる。最上のカルバドスは、最大のりんご酒醸造地帯であるオージュの谷のものである。カルバドスは古くなると格調の高いブランデーになる。しかしよい品は、ノルマンデイーのセラー以外では余り見受けられない。りんご酒をつくるときのりんごの圧搾粕を蒸留したものが、オード・ビーマール・ド・シードルとよばれるもの。カルパドスは普通アルコール分42〜45%を含み、樽に貯蔵せずびん話したものは、無色で安価であるが、樽貯蔵を行なったものは、りんごのブランデーといっても軽くはみられない良品がある。ぷどうのブランデー、コニャックなどと比較することが無理で、カルバドスはそれなりに高級品もあり、また多くの人々に愛好されてぶどうのものより多く飲まれているのではなかろうか。我が国ではウイスキーやブランデー程飲まれてはいない。ただレマルクの『凱旋門』には随所にカルバドスの名が出てくるので、よくしられている。

爛酒 かんざけ
爛をした酒。古くは媛酒と書いた。この「かん」という意味は、熱からず冷たからず、その間という意味であるという。『天野政徳随筆集』には「今の世酒をのめるには必ず暖める事也、是れを爛と云えり、冷と熱との間なる故に、間を音にて「かん」という・・・」とあり、また『三養雑記』、『倭訓栞』などその他この説をなす書が多い。また昔、古い時代延書式内膳司に土熬鍋とあるは爛鍋−爛をするのに小さな銅鍋を直火で暖めた−とのことで、やはりこの頃から爛をしていたことは分るが、今のように時をかまわずにはしなかったようで『温古目録』には「媛酒、重陽宴よりあたためて用うるよし、一条冬良公の御説にみえたり」とあり、重陽節(9月9日)の宴より後、秋冷気を覚えてより冬の間は爛をするようである。『温古目録』のことは『三養雑記』にも引用されている。爛の温度は飲む人によって感じ方が随分と違うようで、42〜52.3℃まで幅がある。大体48〜52℃位が適温であろう。『養生訓』 には「凡酒は夏冬とも冷飲熱飲共に宜しからず、温酒を飲むべし」とあり、熱過ぎる酒、冷た過ぎる酒皆膵胃にわるいとしている。近頃はまた冷酒を飲むようになり、オン・ザ・ロックのようなやり方で飲むようになった。世の移り変りである。なお『参考源平盛衰記』には田舎より出た仕丁が御殿の庭の大切な紅葉をとって酒を暖める燃料としたが、後にこの仕丁らは時の高倉院が、白楽天の詩を思い出されて、風流な者よと許されたといふ面白い話が書いてある。「林間媛酒焼紅葉、石上題詩払緑苔。白楽天の有名な詩は仕丁らの命を救ったことになる。

寒洒 かんしゅ
寒に入ってから造る酒。寒前酒の次にくるもの。江戸時代はもちろん寒前酒、寒酒の順に値段も高い。

寒前洒 かんまえしゅ
寒になる前に造る酒をいう。江戸時代までは、造酒の季節によって、酒の名を変えていたようである。