枸杞洒(くこしゅ)
枸杞という木の実を焼酎またはアルコール(35%)につけた酒。枸杞はナス科に属する落葉性の低木で、野原や川岸によくみられ、夏になるとナスの花を小さくしたような花が咲く。この木の果実は楕円形で赤色、光沢がある。この木は葉も根皮も乾かして薬用になり、解熱剤としたり、若葉は枸杞茶として茶のかわりにする。この生の木の実約500gをそのまま35%の焼酎につけるか、あるいは甘い酒を好むときはこれに純粋の蜂蜜500g(砂糖でもよい)を加えるかしてつくる。つけておく期間は長くて3ヶ月位がよいという。枸杞酒ほ平安時代の頃から薬酒として珍重され、いくつかの文献にその名が出てくる。
口噛み(酒)
古く米その他穀類を暫らくの間、口でかんで、これを吐き出し溜めたものを放置して酒を造ったという。口噛み酒とはこの意。唾液のアミラーゼによって糖化される訳で、麹と同じ作用が行なわれているのである。従って、いわゆる甘酒もこの方法でできる訳で
ある。醴はひとよさけ、すなわち一夜酒、甘酒のことである。沖縄では米奇(みき)と称している口噛みの酒がある。「古今図書集成」には、婦人が口噛みを行なうことが記されてある。また「大隅風土記に口噛酒と
いえる事ある也」と『倭訓莱』にあることからみて、もちろん我が国にも古い時代にはこのような口噛み酒があったことが想像される。この口噛み酒が酒の始まりであるという説、すなわち、酒を造ることを醸すというのは、噛むから転じたという説もあるが、醸すはかびすから転じたとする方が無理
がない(かむたち)。もし口噛みの酒が原始時代の酒の始まりとすれば、この時代は酒を造ることは「かむ」ことであったが、やがてかびを使うようになって「かびす」という言葉が
でき「かもす」となったので、「かむ」と「かもす」 とは本来別系統の言葉で、その問に何等の連絡はないと考えるのが
自然であるという(住江金之『酒』西ヶ原刊行会版)。
クッキング・ワイン
ぶどう酒は欧米の料理には欠くことのできない材料であって、日本酒やみりんが日本料理の大切な材料であるのと同じである。ただし何故酒類が料理に使って効果的かは余り明らかでない。
球磨焼酎(くましょうちゅう)
熊本県人吉市付近に産する米を原料とした焼酎乙類。現在人吉市を中心に球磨郡内に焼酎製造業者数30、鹿児島・宮崎と並んでの産地である。この焼酎は、米麹と蒸米と水で醪を造り、これを簡単な蒸留機で蒸留したもの。米の旨味と香りがあり、人吉の清流球磨川の清きに似た酒である。アルコール約25%。由来については、一説に加藤清正が征韓の役の際蒸留の技とともに輸入したという。しかしながら、征韓の役以前に焼酎がすでにあったという事実やまた朝鮮には焼酎の技がなかったこと、他の大名も焼酎を持込んでいない等のことで、信じられない。また大陸から直接か琉球、あるいは東南アジアを中継点とした南蛮人の持込み等、大陸からの渡来説が有力である。時期は、天正3年(1575)−(『日本醸造協会誌』第52巻、1957年加藤百一・肥後国名酒考覚書、焼酒)が確かであるとされている。この頃南蛮人 宣教師の渡来しきりで、肥後国にも1560年代より70年代初期(永禄より天正にかけて)に何人かが足を留め、この間に焼酎の技を伝えたとしても不思議ではない。彼等の将軍への献上酒に荒木酒があったりして、この種の酒を布教の道具として使っていたのである。ただ興味のあるのは隣国の薩摩の焼酎が芋からなのに対して、球磨焼酎は米のみを原料として醪を造り、これを蒸留するという方法であったことである。当時の焼酎は芋からつくるもの以外は、普通にあるものは酒の粕を原料にした焼酎であるのに、米醪の焼酎がどうして生れたか、この点もはっきりはしない。ただ九州では当時濁酒が身近なものであったから、これから米の醪を原料として焼酎が生れたと考えたいといっている(加藤百一、前記)。なお球磨焼酎は、戦前までは蒸米を用いず普通の飯のように煮米を使用する仕込を行なっており、米の焼酎としても甚だ特異であったが、現在は蒸米だけになっている。
クミス(馬乳酒)
シベリアあるいはコーカサス地方の酒で、馬または牛、特にらくだの乳を発酵させたものである。馬乳は乳糖を多く含むことから、これを乳糖発酵性の酵母で発酵させると、アルコール1%内外の酒ができる。同時に乳酸菌が乳酸発酵をおこすので酸味もある。このような本来のクミスの他に、牛乳(脱脂乳)に蜂蜜を加えて発酵させるという欧米式の乳酒もある。
汲 水(くみみず)
酒の仕込−製造に用いる水のことをいう。仕込(用)水ともいわれる。その量を汲水量などという。
グラス
酒を飲むコップである。酒の種類によって飲む器が変るのは当然であり、またそれが酒をおいしく飲む手段でもあろう。しかしこれは別に定められたきまりがある訳ではなく、余りこだわることも不要である。硝子の質はカットグラスやうす手のものとさまざまであり、色も無色のもの、やや着色したものもある。酒の色をそのまま鑑賞するにはうす手の無色のものがよい。容量も入れる酒の種類によって異なっている。
蔵人
清酒醸造場にあって酒の製造に従事する人々をいう。蔵とは酒蔵のことである。蔵子ともいう。蔵人はほとんど出嫁ぎの人々である。
グラープ
フランスのボルドー地区内の一地域。ガロンヌ川の左岸、ボルドー市の西と南に大きく広がった地域で、長さ64キロ、幅は約29キロ、メドックの外側(南)からソーテルヌの端まである。この中にいろいろの土地と土質を含み、従っていろいろのタイプのぶどう酒ができる。グラーヴという本来の意味は、砂利の多い土地のことをいう。このような土地は赤の品種(カベルネ・ソービニヨン、カベルネ・フラン、メルロー、マルペック、ペテイ・ベルロー)のようなものがよく育つ。同じような土質はポムロール、サンテミリオンとメドックにもある。メドックにも赤ぶどう酒があり、これらの隣接地帯の赤ぶどう酒は互いによく似ている。メドック(特にマルゴー)はより女性的で織細であるのに比し、グラーヴはもっと肉があり、はっきりした性格と人に好まれる率直さがある。一方白のグラーヴは、実際には数において赤にまさっている。この地帯の南の部分ソーテルヌに隣接するあたりは、砂を含んだ土壌であり、ここではセミヨン、ソービニヨンおよび少数のマスカデルの白ぶどう酒がよく育っている。同じようなものはソーテルヌでもできる。これらの白ぷどう酒は主に辛口で特にグラーヴの北の地帯は辛口である(最上のものはオー・ブリオン(辛口)という少ない生産のもの)。しかしソーテルヌの近くのものは甘美で柔らかく、口当りがよいのが特徴である。またこのグラープ地区はよく樹が茂り、その中を小さな流れが横切り、ボルドー地区のなかでは最もロマンティックな風景の所である。かつてモンテスキユーがこの地に住居し、ぶどう園を耕した。しかし現在そこのぶどう酒よりは彼の著作の方が速かに有名である。1953年、グラープ地区の級制が分類され、さらに1959年に改訂された。現在赤白両者をつくるものとして6、赤だけが7、白だけが2、併せて15のぶどう園が最上のものとしてあげられている。
クラレット
イギリスでは、ボルドーの赤ぶどう酒を「クラレット」とよぶ。現在はボルドーの赤の別名になっている。ただこの言葉の意味は最初は少し違っており、また言葉の由来もいろいろの説がある。13世紀頃イギリスではピンク色の軽いぶどう酒が好まれており、これをフランス人は「クレアレイとよんだが、イギリス人は「クラレットと縮めてしまったという。しかしこれは現在我々がいっているクラレットではない。ローマ時代は若いぷどう酒が飲まれ、甚だしく若いものは収穫後2週間程度で飲むというものであった。短い発酵期間のものは今日でもあり、若くて軽快なぶどう酒という新しい味を出しているクレアレイがある。しかしこれはボルドーの老いた赤ぶどう酒を指す「クラレット」とは、明らかに区別すべきものである。またクラレットはから出ているともいわれる。古く赤ぶどう酒の曇っているのを、白ぶどう酒を加えて清澄にするというやり方があり、このような酒は色も普通の赤よりうすくなる。しかし現在フランスの法律では赤と白とを混和してクレアレイを造ることは、禁止されている。
グラン
ボルドーでは特に定められたぶどう園は、その名称の前に「グラン」を付けてよいことになっている。
クリュ
ぶどう酒の場合は、特定のぶどう園とそこからとれるぶどう酒に用いられる。そしてぶどう酒の分類の際の用語である。例えばブリミエル・グラン・クリユ(特級・最上級のもの)プリミニル・クリユ(上級、一級)の如くである。
クリユ・クラッセ
ぷどう酒の分類。これは特に1855年制定されたボルドーのぶどう酒についての分類を指している。185年パリで開催された万国博覧会の際、その道の専門家や仲買人で組織された委員会がボルドーの二大地区すなわちメドックとソーテルヌの一流のぶどう酒を分類した。これが「1855年の分類」としてしられているものである。メドックの赤は合計61種、一級が一五点、三級14点四級が11点、五扱18点という風に分類されている。シャトー・ラフィット・ロートシルト、シャトー・マルゴー、シャトー・ラトゥール、シャトーウ・オー・ブリオンが一級としてあげられている。またソーテルヌとバルザックでは特級が一点(シャトー・イケム一級が11点、二級が22点と分類している。なおボルドーに続いてサン・テミリオン地区は1955年に、グラーブ地区は1959年にそれぞれ分類が定められた。その後も度々手直しが加えられ、1966年の表には、赤ぶどう酒だけは一表に集められ、分類されている。これには最上級としてメドックからシャトー・ラフィット、マルゴー、ラトゥール、オーブリヨン、ムートン・ロートシルトのサン・テミリオンからシャトー・シュヴァルプランとオーゾンヌの二つ、ポムロールからシャトー・ペトリュースと計8つがあげられている。以下と級を分け、各級毎にメドック、サンテミリオン、ポムロール、グラープと地区別に分けてシャトー名をあげている。
クルチエ
ぶどう酒の仲買人をフランスではこのように呼ぶ。この人達はぶどう酒の品質を鑑定し、評価し、値段を定める仕事をする。フランスでは法律によってクルチエの資格を規定し、同時にその職業を保護している。アルザスではグーメエと呼んでいる。
クレードル
ぶどう酒のびんを水平に近く寝かせておく籠。柳で編んだものが古くから使われたが、現在は金属製や合成樹脂のものもある。こうやって寝かせておいたままでぶどう酒を盃に注ぐと、滓を余り動かさずに注ぐことができる利点がある。つまりグラスに注いだときのびんは横になるが、これをもとの直立に戻すよりは、横のまま寝かせておけるクレードルを用いた方が、ずっと滓の動揺が少ないのである。そして沢山のグラスに注ぐときも便利である。何にせよぷどう酒は滓を持っている。これを動かさずに注ぐのが作法である。
グレーン・ウイスキー
麦芽を用いてとうもろこしやライ麦を糖化し、発酵させ、これをパテント・スチルで蒸留して得たウイスキー。【歴史】古くからウイスキーは麦芽と水のみで醪を作り、これを発酵し、ポット・スチルとよぶ簡単な蒸留機で蒸留したもので粗野ではあるが特有の風味をもち、個性の強い酒であるために大衆性に乏しかった。そこで1832年、エーニアス・コフイが新しいタイブの蒸留機しかもポット・スチルよりもっと能率的な連続式を発明した。これが今日パテント・スチルのうちコフイ・スチルとよばれるものである。これを用いると麦芽以外の穀類の使用が可能で収量もあがり、合理的な操作ではあるが、製品の香味がうすくなり、中性アルコールに近くなる。そこでこれとモルト・ウイスキーの調合が行なわれることとなり、やがてこのプレンデッド・ウイスキーがイギリスはもちろん世界を風靡することになる。イギリスでは頑固な蒸留業者もパテント・スチルを行なうグレーン・ウイスキー蒸留会社(D.C.L)しを設立するようになっている(1877年)。一方アメリカでは早くからこの種の蒸留撥を用い、いわゆるアメリカン・ウイスキーのタイブをつくりあげたのである。もっともイギリスがあっさりとポット・スチルのほかにパテント・スチルもウイスキー製造に用いることを認めたのではない。19世紀の後半から20世紀の初めにかけて、ポット・スチルのみをウイスキーの正統と主張する頑固な保守派と、パテント・スチルを認めるという進歩派の軋轢は激しかった。ために市場も混乱はあったが、1908年、政府はウイスキーの定義を定め「ウイスキーとは麦芽によって糖化された穀類醪を蒸留したスピリット」とすることによってこの問題は終止符を打った。現在我々が入手するスコッチのほとんどはプレンデッド・ウイスキーである。【製法】グレーン・ウイスキーに用いられる原料は普通とうもろこし、ライ麦であって、これらの穀類に対し10〜30%の麦芽を使用する。まず粉砕した穀類は、水を加えて加圧蒸煮する。この蒸煮醪に粉砕した麦芽を加えて数時間糖化を行ない、その後30℃前後に冷却、酵母を加えて発酵させる。発酵が終ったら、これをパテント・スチルにかけて蒸留を行ない、不純物を含むことの少ない高濃度のアルコール液を得る。これに水を加えて60%内外にうすめた後、楢樽に貯蔵する。モルト・ウイスキーと違って、アルコール以外の数量成分が少ないから、熟成は短期間でよく、ここに軽い風味のウイスキーが生れる。【調合】グレーン・ウイスキーは、普通香味の強いモルト・ウイスキーとまぜて製品とする。基になるモルト・ウイスキーの酒質によって調合するグレーン・ウイスキーの量も異なっており、この辺が調合の秘密である。そして調合によって各々欠点が消えて新しい長所が生れてくる。Marry(結婚)と調合のことをいうが、その通りである。
グレーン・スピリッツ(アルコール)
麦芽で穀類を糖化し発酵させた膠から、パテント・スチルで蒸留して得たアルコールを総称していう。もちろんグレーン・ウイスキーもこのうちに包含されるが、ウイスキーの場合は普通95%以下(米国法)となっている。
クロイゼン
ビール醸造で後発酵タンクに移された若ビールは、直ちに後発酵を活発に開始することが必要である。このため特に盛んな主発酵を行なっているビールの少量を、後発酵液に加えることをクロイゼンという。このような方法をとったビールをクロイゼン・ビール、ヘーフエ・ビール、シヤンク・ビールともいう。
黒酒白酒(くろきしろき)
宮中の神事である大嘗祭において神に供える二種類の酒。一つは黒く、一つは白い。「き」は酒の古名で黒酒白酒のことは万葉集巻19に新嘗会豊宴の歌に黒酒白酒の名が出ている。この酒の造り方は古代の酒造法ともいわれるが『延喜式、造酒司式』には「・・・二斗八升六合を以て蘖(もやし)と為し、七斗一升四合を飯と為し、水五斗を合せ、各々等分して一甕となす、甕に酒一斗七升八合五勺を得て熟して後、久佐木の灰三升を以て御生気方木を採り、合せて一甕に和す、号して黒貴と称し、其の一甕の和せざる、是白貴と称す」とあり草木灰を使うことが述べられてある。ただし『歴朝詔詞解』には薬灰に白と黒と二種類あり、白い灰を入れたのが白酒、黒い灰を入れたものが黒酒とどちらも灰を加えるものだと書いてある。また黒酒は濁酒にし、白酒はすみ酒=清酒=であるという説もある。また『百家説林』には「玄米の酒は黒酒にし、白米の酒は白酒なり、常のすみ酒は白酒というべき故はなし、いにしへは皆濁酒にて、清酒はなかりしなり」とある。しかしどうも灰を用いたとする説が有力である。ただし濁酒かどうかは解釈が難しいが、前記の『延書式』にも、二斗八升の蘖と七斗一升四合の飯、水五斗からとれる酒の量が一斗七升八合と余りにも収量が少ないことから濾過をしない酒とは一寸考えられず、何等かの手段で搾ったような感じがする。なお黒酒・白酒は今もなお、滋賀県藤居酒造場、東京都加島屋が製造して宮中におさめている。
黒 麹(くろこうじ)
麹菌のうち胞子が黒色〜灰褐色の黒麹菌を繁殖させて造った麹のこと。この麹は各種の酵素を生産し澱粉を糖化する働きをもつほか、有機酸を生成するのが特徴従ってこの麹を用いると、もとや醪のペーハー(Ph)が低下し酸性になり雑菌の汚染を防止する効果がある。泡盛や鹿児島、宮崎等の芋を原料にした焼酎(乙類)はこの麹を用いる。
黒ビール
色の濃いビールであって、黒褐色をおびている。その製法は色の淡いものとやや異なっている。すなわちまずビールにとって最も重要な原料である麦芽の造り方が違っている。普通は(淡色ビールの場合)麦芽の乾燥(焙燥)温度は最高約85℃位であるが=淡色麦芽=、黒ビールの場合は105℃近くまで上昇させて色の濃い麦芽にする=濃色麦芽=。また色麦芽という約200〜230℃まで温度をあげて着色物をつくらせた麦芽、さらに分解の進んだ黒褐色のカラメル麦芽、これらの麦芽を適当な割合にまぜ、硬度の高い水を用い、ホップを少な目に仕込んでつくるのがいわゆるミュンヘン・ビールで、黒ビールの代表的なものである。色麦芽の量を多くすると、なお色の濃いビールができる。これがクルンバッハ、ニュルンベルグビールである。いずれも色が濃く、甚だしいのは全く黒色で、アルコール分が高く5〜7%で味も濃厚である。
桑 酒(くわさけ)
寛政時代から主に肥後や阿波、丹波で造られたようで、桑の実の汁と焼酎、白砂糖で造った薬酒。紫色をしている。『寛政武鑑』によれば「細川越中守斉竝 肥後熊本時献上 正月 桑酒。松平阿波守治昭 阿波徳島 時献上十一月 桑酒」とあり、当時その両地の名産であった。その製法は『手造酒法』によれば「1、桑の汁一升(桑の実をすりつぶし布にてこし汁をとりせんじたもの) 1、白ざとう一斤 1、酒二升五合 右三品を合せ壷に入2、3日も置くべし冬は4、5日も置てよし」とある。また別に「1、桑の実よくじゅくしたるをえらみすりつぷし酒ひたひたに入てやはらかなる炭火にてねりつめきぬごしにいたし壷に入風の入ぬように口をはりおくべし扨いつ成共桑酒入用のとき酒にてのべ氷ざとう粉にして好次第入れ酒をこして出すべし又焼酎半分合に入てもよし」ともある。しかし『本朝食鑑』は桑の実の酒(桑椹酒)と桑の樹皮を用いた桑酒のあることを区別して述べている。「桑酒 中風、五瘴、脚気、及ひ疾嗽を治す、桑樹及ひ根皮を用いて、濃煎じたる汁に米麹を入れ 醸し成す。古酒を造る法と同じ」とあり、この他に桑の実を用い、酒、白糖を加えるものがあって、これは「耳目を明にし、水腫を治す」と薬効が多少異なることを記載している。最近のものも桑の実の汁1.8Lに焼酎約4Lと白糖を加えるもので、桑の実の汁はよく熟した実をすりつぶし鍋で青臭がなくなるまで煎じ、冷却したもの。アルコール16%、糖分約32%。「柳多留」には「桑酒をぐあいのわるい人がのみ」とある。